その時に感じたことを記録に残すということは、結局自分のためでしかない。
記事作成というのは、誰かの役に立つためでないと読まれないからだ。
誰でもない人間のしょうもない記事を見る人はいない。
だから、何者でもない状態を続ける辛さというのが存在してしまう。
これをして何になるんだろう。これはなんの意味があるのだろう。
そんなことを考えてしまうとやる気がなくなってしまう。
この熱量は自分が単純で純粋な欲求によって動かされる方がいい。
矛盾しているよね。
人の役に立つという動機とやりたいからやっているという動機。
こうした事柄によって本当に何がしたいのかということがわからなくなる。
とはいえ、現実的には何かをしなければ生きていくことはできない。
そのためとりあえず目の前のことをするしかない。
つまり、なりたい自分を想像しつつ淡々と積み重ねるほかないということだ。
報酬があるかないかでいうとある。しかし、それは物理的な報酬とは限らないということ。精神的な報酬になっているかもしれない。
そこで嘆かずに淡々と次のステップに進む必要性がある。
人生は悩んでいる暇などないし、今この瞬間に入っている時が最大速度である。
やらなければ始まらない。
やった方がいいのかやらない方がいいのか。
知っているのは自分自身だったりする。
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